中川敬介 Karate History ⑤ 初めての昇級審査

前回の更新は間隔が空いてしまいましたので年内は後何回か更新できるように頑張ります!
入門して約3ヶ月順調に稽古を重ね自分自身も少しずつ上達してきている事が実感できるようになってきていたある日、先輩から次の審査を受けてみないかと言って頂けました。待ちに待った審査会です。先輩から許可を頂いてからはより一層熱心に稽古に取り組みあっという間にその日が訪れました・・・。
審査会は石井和義館長が堺東支部に直々に来られて実施されました。それまでも何度か館長が道場に来て指導された事がありました。初めてお会いした時は思っていたよりも小柄でしたがとても動きが綺麗で速くキレのある動きに驚きました。そんなに体格は大きくないのに大きな中山師範や川地先輩坂本先輩他強い先輩方を育てまとめ上げている事が凄いと思いました。面白く分かりやすい指導で声が素敵で標準語での指導が新鮮でした。誰かとしゃべり方が似てるなと思っていたのですがそれは指導員の先輩達でした。でも館長が似ているのではなく先輩達が師匠である館長の指導時の口調に自然となっていたのですね。私も指導の時は同じ口調になっているのではないでしょうか(笑)
審査時に特に褒められた記憶はありませんが、『中川君は腰が悪いの?』と聞かれた事を覚えています。実は中1の時昼休み中にサッカーをしていて思いっきり蹴り上げた時に電気が走り力が抜け腰から崩れ落ちるように倒れた事がありました。暫くはまともに動く事も出来ず運動もできない日々が数ヶ月続きました。(やはり柔軟性は大事です)空手を習う頃にはかなりマシになっていたのですがそれを見抜かれ凄いなと思いました。今だから言えますが腰痛は完治はしていなくて選手時代もスタミナよりも先に腰が痺れて足が動かなくなるので試合の時は残りのスタミナと痺れで足が動かなくなる時間差を計算しながら戦うのが実は大変でした。審査は無事1983年3月12日(中学2年)4級合格となりました。

当時の石井和義館長
館長の綺麗な左上段廻し蹴り
キレのある後ろ廻し蹴り
決して大きくない身体で屈強な先輩達を育てまとめ上げていた事が凄い
当時の審査申込用紙
黄帯時代の
左上段廻し蹴り

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