正道会館 第8回 全日本新人戦空手道選手権大会
(1987年4月19日 豊中市立武道館)
11月は1度も更新が出来ていなかった為今月もう1回アップします。これが今年最後の更新となります。
エグザスにお世話になる事が決まってからの私は水を得た魚のように活き活きと指導、稽古に取り組んでいました。4月19日開催の『第8回全日本新人戦空手道選手権大会』への出場も決まりました。新人戦がこれ迄の『2階級ウエイト制』から『A・B・Cの3クラス(全クラス無差別)』で開催される事になり、黒帯でも全日本大会で上位入賞経験が無く初段であればAクラスに出場できる事になりました。初段でも佐竹先輩や松本君、柳澤さん達のように正道全日本で入賞する程の力ある選手は他流派の全日本にも出場できましたが、それ以外の選手は試合の機会があまり無く経験を積ませたいとの事で新設されました。
1ヶ月前迄の私はグラグラした精神状態で正直試合どころではない状況でしたが、エグザスで働く事が決まってからは気持ちを切り替え大会に向け稽古に励みました。大会迄あまり期間が無かったですが急ピッチで調整し何とか本番に間に合わせる事ができました。各クラスとも参加数が多い中Aクラスは11名と少数ではありましたが、田前、武澤、山本、玉城(健)、黒住選手等学生大会や新人戦で活躍し全日本大会出場経験もある強豪選手が名を連ねました。1回戦は白蓮会館の龍岡選手。パワーがあり打たれ強く本戦前半場外に押し出される場面もあり少し焦りました。膝やローで攻めるも引き分け。延長戦も前半パワーで押される場面もようやくスイッチが入り何とか判定勝ち。1回戦終了時点ではやはり急仕上げが影響したのか動きが重く感じました。2回戦は豊中支部の黒住辰哉先輩。日頃から気に掛けてくれ試合会場でもいつもアドバイスをくれていた優しい先輩でしたのでとてもやりにくかったです。黒住先輩も私と同じで捌きや崩し技を得意としていました。後から聞いた話しですが石井館長もこの崩し対決を楽しみにしていたらしいです。警戒はしていたのですが前半いきなり左の前蹴りを崩され上段を決められそうになりヒヤヒヤしました。その後はお互い崩しを警戒しながらの攻防が続きましたが中盤を過ぎたあたりで私の左上段膝蹴りからの左上段廻し蹴りが運良く決まり技有りを奪う事ができ何とか勝利。黒住先輩は心魂道場立ち上げ時の協力者(現優心会代表)でもあり今でも尊敬する先輩の一人です。準決勝戦は総本部の山本稔先輩。10歳程年上の大先輩のベテランです。腰が重く粘りの強い組手で私が戦いにくく苦手とするタイプです。首を押さえながらのインローで崩す技を得意とし何回か掛けられました。延長戦4-0で何とか勝てましたが山本先輩との組手後は体力を消耗しかなり疲れます。正直トーナメントではあまり戦いたくない相手です。昔はこういう陰の実力者的な感じの先輩が多くその先輩達に稽古で揉まれた事も自分達が強くなれた理由の一つでもあると思います。決勝戦は総本部の田前純三選手。この時期は田前さん、松本君、武澤さんとは特に仲が良く本当によく連んでいました。そんな仲間の兄貴的存在だったのが田前さんでした。当時は関西学院大学の学生でお勧めの食事や服を買う店なんかを教えて貰ったり一緒に行く事も多かったです。正道会館では私の方が少し先輩になるみたいですが空手歴(芦原会館時代含め)でいうと先輩です。とても気が強く常に気合いの入った組手をします。私たちが気合いが無かったり仕様も無い試合をするとよく怒られました。そんな田前さんとの最初で最後の試合がこの時の決勝戦です。稽古も一緒でお互いに手の内が分かっている為簡単には攻め立てられません。田前さんが先に気合いの入った技で攻めそれに負けじと私も気合いを出して技を返すという展開が続き本戦引き分け。延長戦も本戦と同じような展開ですが少し見合う時間が多くなります。中盤に田前選手の上段前蹴りがヒットするもダメージは無く引き分け。再延長戦も同じ展開でしたが最後の延長戦という事もあり攻防の場面が増えます。そして終了間際何としても初優勝を決めたく私がラッシュを掛けに行ったところにタイミングよく物の見事に軸足払いを決められてしまいました。残念ながら動画ではその瞬間の場面がカメラから外れ映っていないのですが、私の記憶では暫く身体が空中に浮かんでいたと感じる位の見事な足払いだったと思います。これが決め手となり判定で敗れました。今映像を見返すと後手の組手になっていたのでもう少し自分から仕掛ける組手が出来ていれば…と反省しています。
元々日記や感想文、作文等が苦手な人間ですのでこのブログがどこまで続くか不安でしたが、気が付けば1年が経過していました。不定期更新(月2回目標)になるかと思いますが来年も継続させたいと思います。今年1年ありがとうございました。来年も宜しくお願い致します。皆様良いお年をお迎え下さい!