青春 Karate History ⑱ 1級昇級審査受験を決意!ウエイトトレーニング開始! 

指導員になり最初の内は子供達の勢いに圧倒されペースに振り回され、指導後は毎回真っ白に燃え尽きたあしたのジョーのようになっていた私でしたが、徐々にペースにも慣れていき1ヶ月もすれば問題なくこなせるようになっていました。子供達も段々言う事を聞いてくれるようになり日に日に上達していくのが嬉しく、とてもやりがいを感じるようになっていました。その頃、松本君は高校3年で昇段(当時の正道会館で高校生で黒帯を取るのはかなり凄い事)を果たし、12月に開催された正道会館第4回全日本空手道選手権大会で最年少デビューし3回戦まで勝ち進む活躍をみせていました。当日会場にいた私は松本君がとても輝いて見え来年は自分も絶対に全日本の舞台に立つぞ!と心に誓いました。私としては10月第5回新人戦の軽中量級で優勝→翌年2月1級合格→4月第6回新人戦は階級を上げ重量級に挑戦→10月第7回新人戦重量級優勝→11月黒帯合格→12月第5回全日本大会デビューという計画を立てていましたが10月の新人戦が不参加となった為少々予定が狂ってしまいました。自分としては新人戦の軽中量級で優勝してから茶帯になる事が理想でしたが、高校生で黒帯を取り全日本大会に出場する為には2月の審査で茶帯になっておきたいところでした。当時正道会館の緑帯は他流派では黒帯の実力があるとは言われてはいたものの、緑帯で指導にあたっている事も子供達や保護者に対し少し申し訳無い気持ちもありましたので思い切って受験する事を決めました。その頃の私は火、土はピープル新金岡で指導、水曜はピープル光明池に出稽古(たまに指導も)、木曜は総本部の上級クラスに参加していましたが、計画を遂行する為にはもっとパワーアップが必要と感じていたので、実家近くにあった『堺トレーニングプラザ』というボディビルジムに入会し残りの月、金をトレーニングの日に充て日曜以外は全て空手が強くなる為に時間を注ぎました。会長の松原博先生は第13代ミスター大阪、第9代ミスター関西等多くの実績がある凄い先生でしたがとても腰が低く気さくでやさしい方でした。入会してから知ったのですが松原先生は石井館長や中山師範とも面識があり又正道会館第1回西日本チャンピオンの吉木永雄先輩も通っているという事を知り縁を感じました。それもあってか松原先生にはとても親切にして頂きました。それから約10年後正道会館南大阪本部開設時記念パーティーにも出席して下さりとても嬉しかったです。

松本君は最年少全日デビュー
初出場で3回戦まで進出
前年3位強豪木村成克先輩と
熱戦も延長戦で惜しくも敗退
第4回の全日本大会
決勝戦は
川地雅樹先輩対佐竹雅昭先輩
でした
再延長戦で川地先輩が勝利し
2連覇を達成されました

今となっては貴重な
素敵なシーンです
私がとても好きな写真

優勝:川地雅樹
準優勝:佐竹雅昭
第3位:今西靖明
4位:角田信朗以下ベスト8に
東雅美、杉原正康、木村成克
宮崎保之という錚々たる面々
全日本に出ると言うことは
この先輩達と戦うという事です
中途半端では出られません
当時堺トレーニングプラザは
菅原神社(堺戎)の向かいに
ありました
現役時代の松原博先生
ミスター大阪(1979年)
第13代チャンピオン
ミスター関西(1982年)
第9代チャンピオン
とても腰の低い先生でした
正道会館南大阪本部
開設記念パーティー(1995年)で
右端が松原博先生

過去の記事

青春 Karate history ㉕ 全日本大会デビュー!

正道会館 第5回 ノックダウンオープントーナメント 全日本空手道選手権大会 デビュー戦(1986年12月14日 守口市民体育館) いよいよ全日本大会が開幕しました。開館時間前から入口には長蛇の列ができ会場内は観客で超満員