私がサボっている間に松本君はどんどん力を付け、5月の拳武道会館全日本大会では5位入賞、6月の誠心会館全日本では川地先輩と決勝を争い準優勝、そして9月の正道会館北海道選手権では優勝と大活躍していました。全て体重無差別の大会での結果でしたのでかなり水を開けられた感がありました。また就職活動で暫く稽古から離れていた御座岡先輩も無事に初段に合格した事を知り、もう立ち止まっている時間は無いぞという気持ちで総本部やピープル光明池にも稽古に出向くようになりました。そんな時第5回全日本新人戦が10月に開催されると案内がありました。次こそは優勝するぞ!という気持ちでしたが…待てよ?何かの日と重なってるなあ?と思っていたらそれは高校の修学旅行でした。緑帯にもなり松本君の活躍を知り燃えていた私でしたので修学旅行には参加せず大会に出場する気満々でおりました。ところが総本部に稽古に行った際石井館長との話の流れの中でその事を伝えると、館長は『中川!よく言った!気合い入れて頑張れよ!』とでも言ってくれるかと思っていたら、何と『中川、試合はまた次があるけど修学旅行は一生に一回の事やから気にせんと楽しんでこい。帰ってきたら又頑張ったらええやん!』みたいな事を言って下さいました。意外でしたが館長がそうおっしゃってくれるならとお言葉に甘えて修学旅行に参加する事にしました。あの時館長と話す機会がなかったら確実に試合に出ていたと思います。結果修学旅行はとても楽しくエンジョイでき良い思い出作りにもなり参加して良かったのですが、松本君がどんどん遠くへ行ってしまうようで焦りもあり旅行後は今まで以上に稽古に励みました。それから暫くすると総本部の事務長から電話が掛かってきて石井館長が正式にピープル新金岡の指導をやって貰えないかとおっしゃっているとの事でした。この頃は川津さんも仕事が忙しく御座岡先輩も社会人1年目で中々定期的に指導に行ける人間がいなかったからだと思います。初めて新金岡に来た頃指導員が安定していなくて何とかしなアカンと思っていた事や川津さんと協力して指導も一緒にやっていた感じでもあった事から、正式に毎週火・土の週2回、1日2クラス(少年部/一般部)を引き受ける事にしました。高校生でまだ2級の自分に声を掛けて頂き有難いと思うと同時に責任重大だと気を引き締めました。任された以上はたくさん生徒を増やして自分自身もっともっと強くなって正道会館(館長)の力になれるよう頑張ろう!と思いました。但し指導員といってもその頃は勉強の為に指導をさせて頂いているという時代でしたので指導料なんかはありません。この時代はそれが当たり前で先輩達も皆同じだったと思います。その翌年の3月から少年部のみ指導料を頂ける事になりとても有難かったです。初めて少年部の指導を一人でやり終えた後は魂の抜け殻のようになり俺にはやっぱり無理かも?と少し弱気になっていた事を今も良く覚えています。
正道会館ピープル新金岡時代 指導&稽古風景(1985年頃)
公開するのは少し恥ずかしかったですがこの動画を観た
道場生の皆さんが自信を持ってくれたら嬉しいです