初入賞を果たし更にやる気も出て気持ちは燃えていた私でしたが、松本君のローキックによるダメージが大きく暫くは稽古にも行けない状態が続いておりました。それでも1ヶ月もすると休養の効果もありかなり回復してきました。なのに暫く休んだ事により何とサボり癖が付いてしまいました…。学校から帰宅するとどこかに遊びに行くわけではないのですが、夕方から始まるテレビ番組(当時流行っていたアレです)を観てまったり過ごす事が心地よくなっておりました。稽古の時間になると道場の事が気になりサボっている事に対して罪悪感もあるのですが、その時には次の稽古には行こう!が来週からは絶対…が来月から(^_^;)となり、あっという間に数ヶ月が経過していました。さすがにそうなると更に強くなる為に稽古に励んでいるであろう松本君の事が頭にチラつき又空手を頑張る為にJAC養成所を退所したはずやのに一体俺は何をやっているんだろう?とそんな自分がとても情けく嫌になってきてようやく復帰する事を決断しました。まさに今現在この時の私と同じ様な状況の人もいるのではないでしょうか?ブログを読んで頑張る気持ちになって貰えたら嬉しいです(^_^)。約4ヶ月振りにバツが悪そうに稽古場に現れた私を当時総本部から指導に来ていた川津さんや道場の皆は休んでいた事を責めるどころか初入賞した事を祝福しダメージを心配してくれ復帰をとても喜んでくれました。それがとても嬉しくもう絶対に皆を裏切るような事はしないと心に誓いました。指導に来られていた川津さんは背が高く細身でしたが突き蹴り共にシャープなのにとても重く強かったです。私より8歳程年上だったと思いますが偉そうにする事もなく友達のような感じで接してくれとても良くしてくれました。私はどちらかというとガッチリしたタイプよりもヒョロッと背が高く手足の長い選手の方が苦手でしたので川津さんとの組手はやりにくく苦手にしていましたがとてもよい稽古になっていました。川津さんは間違いなく空手も強かったのですが暫くしてテコンドーに転向されました。今思えば手足が長く回転技や飛び技も得意で当時の稽古にも取り入れていましたのでテコンドーは向いていたと思います。テコンドーの世界では選手として活躍し引退後はコーチとしてもオリンピックに出場するような選手を多数育成されたと聞きさすが川津さんやと嬉しく思いました。復帰後の私は順調に稽古を重ね川津さんとの稽古の成果もあり復帰から約3ヶ月後の9月15日に審査を受験し無事2級合格する事が出来ました。
正道会館ピープル新金岡時代の稽古風景(1985年頃)