今回は青春 Karate historyの番外編です。去る11月12日(水)の南大阪本部一般部のクラス稽古終了後にドアをノックする音が聞こえました。視線をドアの方へ移すと巨大な男が立っていました。見学者と思い中に入るよう促すと『押忍!』といいます。彼が名乗ろうとする所に待ったをかけ誰だったか記憶を辿る事数十秒・・・思い出しました。念のため組手構えをしてもらい確信しました!私が高校生から24歳まで正指導員を務めていた正道会館ピープル光明池時代の最強弟子のひとり『霜出冬樹』君でした!私が知っている当時の彼は60kgそこそこのスリムな身体でしたが現在は何と120kgもあるとの事で驚きました!只それでも数十秒で分かったのは実は10年程前に彼が家族の方と経営している北野田にある有名焼き鳥屋さん『八起焼き鳥』に御座岡先生と食べに行った事がありその頃既に100kgオーバーの彼と再会していたからです。いきなりでは多分分からなかっただろうと思います(笑)。高校生の時に入門してきた彼は友人でライバルであった田島王輝君に追いつけ追い越せで一生懸命稽古をしメキメキを力を付けていきました。演武や行事時もよく手伝ってくれ助けてもらいました。後にK-1で活躍する武蔵君は年齢は同じですが霜出君の後輩になります。新人戦でも好戦績を収め、いつかの新人戦では
決勝戦で当時本部の内弟子だった鈴木修司(現真正会代表代行)選手と対戦し上段膝蹴りで一本勝ちをおさめ優勝しました!この時鈴木選手は頬か顎を骨折。今でも鈴木さんは当時の思い出話をする時必ずその時の話をされます。鈴木さんも認める強い選手だった事は間違いありません。実はこの日の丁度一週間程前に御座岡先生と霜出君の店に行った時の話をしていたばかりでしたので今回の事は本当に驚きました。霜出君は偶然前を通りかかった時に空手の稽古をしているのが目に入り覗き込んだら私の姿があり驚き直ぐに飛び込んできたらしいです。こんな事ってあるんですね。観ていて燃えてきたのか来ていた生徒さんと軽く手合わせやろうとするので『アカンアカン』といって咄嗟に停めました。今の生徒さんには失礼ですが『殺られる』と一瞬生徒の方が心配になりました。それぐらい当時の弟子達は強かった記憶が残っているのです。私も現役バリバリで一緒に激しい組手をバンバン行ない一番厳しく指導していた時代に付いてきていた弟子達ですからね。今はそこまで出来ないので少し寂しさもありますがこれも時代と割り切っています。膝が悪いと聞いたので難しいとは思いますが、もう少し体重を減らして軽くでもやれそうであればいつでも来て下さいね!当時の写真と思い出を紹介しておきます!

突然大きな男が入ってきました

でした…が、この構えを見て
確信しました!

教えていた弟子の一人
霜出冬樹君でした

1989年のピープル夏祭りで演武
した時の写真

瀬川先生佐野先生の顔も見えます
後にK-1で武蔵として活躍する事に
なる森昭夫君もこの頃に入会
どこにいるか分かりますか?

これは東岸和田のトークタウンで
演武した時の写真

大半で皆熱かったです!

手前は20代前半の瀬川先生です


第1回交流大会時演武してくれた
メンバー達と少しオチャラけた
ポーズで


ピープル交流大会演武動画
御座岡先生演武動画より

この大会霜出君は決勝戦で当時本部の内弟子だった鈴木修司(現真正会代表代行)選手と対戦し
上段膝蹴りで一本勝ちをおさめ
優勝しました!

左端に佐野先生私の左隣に霜出君右隣には霜出君の友人でライバルだった田島王輝君の姿も

光明池を頼んだぞと伝える
上の写真とは大分変わりました
私もですが…(笑)



