新人戦では結局優勝する事はできませんでしたが入門からの目標であった高校生での黒帯取得、全日本大会出場は達成できた事もあり満足できる一年となりました…が。時は既に12月中旬で同級生達は皆卒業後の進路がほぼ決まっていて進学や就職の為に受験勉強や就職活動を積極的に行なっていました。空手の事しか考えずに今まで過ごしてきた私は取り残された感じがして少し焦りました。只この頃の私は将来何をしたいのか先生や親に聞かれても『空手』としか答えられませんでした。私の事を理解し普段から気に掛けてくれていた先生や可愛がってくれていた柔道の顧問だった先生からは『お前が上の大学(付属高校でしたから)で空手部や柔道部に入る気があるなら推薦も考えるぞ』みたいな事も言って貰え有難かったですが、あまり勉強は好きでは無かったし『寸止め空手』や『柔道』をやりたい訳ではなく自分がやりたいのは正道カラテ(フルコンタクトカラテ)でしたので正直興味ありませんでした。就職も考えましたがこの時代は夕方にきっちり終わるような仕事はありません。既に2箇所で週3回空手指導を行い生徒数も増え子供達も懐いてくれ、指導にやり甲斐も感じていた私はかなり悩んでいました。父親は塗装屋で職人(因みに私は色弱で色が苦手)でしたから私にも手に職を付けて欲しかったようですが…興味ありません。悩んだ末に館長に相談すると『うちにくるか』という事で高校卒業後は正道会館でお世話になる事がほぼ決まり一先ず安心していたのですが…。年が明けてから事件が起こりました。同じように一年先に正道会館で修行しその後、後援会関係の社長さんの会社で働いていた松本君がいなくなったという情報が入りました。何とか松本君に連絡を取り事情を聞くとかなり両立は厳しかったとの事でした。あれだけ強い松本君が逃げ出すとは館長の元(関係)で働くのはかなりのプレッシャーで空手の稽古所じゃないぞ…とその時の私は思い不安になりました。松本君に相談したら考え直した方がええでと言います…。(松本君はその後は無事戻り自分で就職活動し入社した会社で働きながら空手を続ける道を選びました)私は悩んだ末に怒られる事を覚悟の上で館長に一旦正道会館への就職(内弟子)を白紙にして頂くよう相談しました。松本君の件もあったから分かりませんが特に怒られる事もなく承諾して下さいました。只この時既に高校卒業間近となっていましたのでもう時間がありません。それから暫くは悩みながら空手指導を行なっていました…。

楽しかった高校生活も卒業まで
後僅かとなっていました

皆受験勉強や就職活動を熱心に
行なっていました

火・土に指導を行なってました
順調に人数も増え
皆懐いてくれていました

週一回水曜日は光明池で
指導を行なっていました

後列右から2人目は現在コナミ
光明池教室指導員の佐野義裕先生
入門当時の貴重な写真

東京の大学に進学の為自分の進路が
まだ決まっていないのに4月から私
が責任者になる事が決っていました

堺東支部からの親友で
とても強かったです

とても仲良くなっていたので色々
と相談にも乗ってもらいました

カラテのビデオを食い入るように
観て研究していました

後に正道会館常勝軍団の代表選手
として各大会で大活躍します

いつも一緒に行動を共にしてました

ライバルでもあり親友の仲間達が
いたから今の私があります